幼い頃聞いた歌に「村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん。年は取ってもお舟を漕ぐ時は元気一杯櫓がしなる、それギッチラ、ギッチラ、ギッチコ・・」という歌詞があったが、遠い将来のことと思っていたその「老域」に、ついに自分も達してしまったかと思うと複雑な心境である。
昔と違って平均寿命も大幅に伸び、体力と気力に加えて「運」が伴えば、あと20年位は元気に生きることも十分可能な時代になった訳であるが、この還暦という「節目の年」に当たり、今一度来し方を振り返り、これからの生き方について考えてみたい。
昭和21年に東京で生まれ、戦後まだ間もない幼い頃は衣食住すべてに貧しく、掃除・洗濯・炊飯・風呂焚き等の家事はすべて家族全員が分担して当たらざるを得なかった。
昨今の冷暖房完備の近代的な住宅のように、ほとんどボタン一つで操作ができ、飽食と肥満で若年性糖尿病まで心配される今日とは正に隔世の感がある。
貧しい中で多くの家族を養うために両親は一生懸命働き、自分は将来を見据えて勉学に励み、東京でも自然豊かな環境に恵まれていた目黒で、セミやトンボを追った子供の頃が懐かしい。昭和39年の東京オリンピック開会式当日、雲ひとつない秋晴れの空のもと、思えばその後の高度成長時代のスタート合図でもあった高らかなファンファーレとともに、代々木のスタジアム上空に、5機の飛行機によって描かれた鮮やかな「五輪のマーク」を
自宅の窓から眺めた様子が今でも目に浮かぶ。
昭和45年に就職し、3年間の東京勤務の後、それまで地名も知らなかった守山に転勤したのが縁で、人生の半分以上をここで暮らすことになろうとは想像もできなかった。
琵琶湖大橋近くにあった田んぼの中のアパートに引っ越した当時、田植えの頃の夜に聞く「カエルの歌」が妙にやかましく、激しいカルチャーショックを受けたのを思い出す。
しかし「住めば都」とはよく言ったもので、京都・大阪への交通の利便性はもとより、琵琶湖大橋から眺める比叡山に沈む夕日は絶景で、自然に恵まれ各種スポーツ環境が整い、名所旧跡にも事欠かないこの地を、第二の故郷にできたことはとても幸せであった。
60年間を振り返り改めて感じることは、若い頃の辛く苦しい経験はいつの時代であれ、人生を豊かにするための必要条件であり、昨今のように物質的に恵まれ、生まれつき何不自由ない環境だけが幸せだとは決して思えない。特に最近「心の荒廃」に起因する様々な出来事が発生しているが、「人生における幸せとは?」ということを改めて考えさせられる。
戦後60年、廃墟の中から奇跡の経済成長を遂げ、全国津々浦々まで立派な道路ができ、夜中でもコンビニで買い物ができる便利な時代にはなったが、この経済的繁栄と引き換えに失った「日本人の美徳」を取り戻すには、少なくとも100年はかかるであろう。ただひたすら物質的豊かさだけを追求し、そのためには少々悪いことでも許されるという風潮にあった「高度成長〜バブル時代」の残した後遺症は余りにも大きい。
昨今問題になっているホリエモン的価値観、官製談合、企業の不祥事、公務員の退廃等々すべてはこの後遺症と言えるのではないか。中でも驚くべきは昨年の耐震偽装事件に加え、教育の場である多くの高校で、事もあろうに取得単位偽装を何年間も平気で続けていたという事実である。これは例えて言えばマラソンで、真面目に走っている人の脇で、監督者自らが近道を指示し、「ショートパス」させていたのと同じである。
家庭では幼い子供が両親から虐待され、学校に行けば自殺したいほどのイジメに遭い、高校では単位偽装までして大学受験に当たるような環境の今日の若者に、将来に夢を持てという方が無理なのであろうか。これら社会のモラルダウンの「根っこ」にあるものは、戦後の個人主義、経済至上主義であることは間違いない。核家族化の進行により、経験豊かな年配者のアドバイスを受ける機会も少なくなり、他人との係わり合いを避け、日本の良き伝統や風習をことごとく否定してきたツケが一挙に顕在化したものなのであろう。
顧みるに、戦後貧しいけれども希望をもって家族が支えあい、周囲にも気を配りながら日本人全体が真面目に一生懸命、額に汗して働いていた頃の方が今より幸せだったのかも知れない。今日還暦を迎え改めて思うことは、幸せとは心の豊かさを実感できることに他ならない。物質的豊かさはそのための一つの手段ではあるが、目的ではあり得ない。
世間にはそれを履き違え、恥も外聞もなく「晩節を汚す」輩のいかに多いことか。そんな連中を見て育った若者がまともな人間になるはずもなく、その意味でも我々大人の責任は極めて重い。
今こそもう一度原点に立ち返り、物質的欲求はほどほどに、かつて日本人が持っていた「清く・正しく・美しい」生き方を指向すべきなのであろう。誰しも所詮「はかない命」でしかないことを意識し、「今生きている」ことの意義を各々の立場で考え直すことが何よりも大切なことである。
日本という素晴らしい自然と四季に恵まれた国に生まれたことに感謝し、先祖から脈々と受け継がれてきた「エンドレスの駅伝」の1区間を自分が走っているということを自覚し、「伝統というタスキ」をしっかりと次代の人に手渡すことこそが、我々に残された使命なのであろう。
たとえどんなに科学技術が発達しても、経験しないと判らないことは数多い。一方で人間性が伴わない中での科学技術の発達は、逆に不幸の元でしかあり得ない。そんな中で「人はどのように生きるべきか」という根本命題の答えは、未来永劫変わるはずはない。
この60年の間に培った僅かながらの「知恵と経験」を、次代を担う人たちに少しでも伝えることを、これからの人生の最大目標にしていきたい。 06.11.12 守山裕次郎
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